補足・第二章、指標の不足と「日用品と嗜好品」 ~【簡易版】文系オヤジ降臨~まだ唱えてるぞ!オイラの『評価経済論』~
今回もけーこす先生の元記事は以下です。
『評価経済社会の理解とハックに欠かせないコペルニクス的転回とは?』
前回(の私の書いた簡易版)『第二章、指標の不足と「日用品と嗜好品」 ~【簡易版】文系オヤジ降臨~まだ唱えてるぞ!オイラの『評価経済論』~』では『詳細)日本の生産性が低い真の理由は……日本国民は皆、○○側の立場に立っているから』という記事にリンクさせて頂いていました。
その記事で、日本の生産性が低い理由として「お客さんがお金を持っていないこと」と「日本人は皆、供給側(労働者)の立場に立っていること」を挙げていました。
今回は「そもそもの理由は、日本人の価値観が古いことである」という話を書いておきたいと思います。
まず、ざっと上記リンク先の話を要約しますと、以下のようになります。 上記右側の画像は金融庁の資料より頂いたものです。
ここまでが日本の生産性が低い理由として「お客さんがお金を持っていないこと」と「日本人は皆、供給側(労働者)の立場に立っていること」の話ですね。
では、本題の「日本人の価値観が古い」について。
具体的にどこまで古いのかと言いますと、それは「江戸時代」です。
さすがにそれは言い過ぎでしょーと思われるかもしれませんが、それには理由があります。
その理由が「江戸時代の重農主義を引き摺っている」というものであり、けーこす先生の元記事『評価経済社会の理解とハックに欠かせないコペルニクス的転回とは?』で言えば、以下の辺りです(グラフは割愛します)。
① コメ一俵
究極的には、コメは人間の生命維持に必要なモノです。そのため、人類は、コメの数量が少なければ、どんな値段を投じてでも、一定量を欲しがるので、価格と需要量の関係は次のグラフのようになります。一方で面白いのは、あくまでも人間の胃袋の容積以上はあまり必要がないので、特に長期保存の技術が発達していなかった昔は、需要量に限りがありました。
だから、明治維新以前のように現代よりも飢餓に近い時代には、価格や貨幣の存在は、国力や経済力を測るモノサシとしてさほど重要ではなかったのです。
ここで私が最初に指摘しておきたいのは「江戸時代は、明治維新から現在までよりも長い」ということです。
江戸時代は現在1603~1868年とされており、265年間です。
明治時代以降現在までは1868年~2022年ですから、154年間です。
265年もの長い間ずっと、重農主義だったわけです(一時的に田沼意次が重商主義を導入したこともありましたが)。
何故長い間、重農主義だったのかと言えば、そこに「石高制」という理由も加わります。
「石高制」を言い換えると「一部米本位制」とも言えます。
お金の機能の一つ「価値の尺度機能」を担っていたからです(支配者階級である武士の人事評価に使われていた)。
この石高制の影響下にあるのは武士と農民ですが、この武士と農民で人口の約90%以上を占めていました(江戸時代いうても長いですから多少の増減はあるかと。ウィキブックスによりますと「百姓 : 約85%」「武士 : 約7%」でした)。
米の量を増やすには紙幣を増刷するほど簡単にはいかず、生産するしか手段がありません(売ってくれる人がいれば買うことはできます。が、総量は増えません)。
つまり額に汗して働くしかないわけで、江戸時代の農村で裕福になりたいのなら、農作業をがんばってお米をいっぱい作るしかありません。
がんばって農地を開墾で広げて、労働時間を長くして……そうやって、少しでも多くお米を生産するとその分、裕福になることができます。
(だから我々の親や学校の先生は「一所懸命に働け! そしたら裕福になって幸せになる!」と、しきりに教えてくれていたわけです)
その一方で、大坂は堂島の米市場で「世界初の先物市場」が生まれていたりもしますけども。
この話にご興味ある方はダイヤモンドオンラインさんの「江戸時代、日本は金融立国だった! 再評価される世界初の先物市場“堂島米市場”」もどうぞ。
とはいえ、農村部では労働による生産のみで金融活動が全くなかったというわけでもなく、地域によっては「無尽(講)」「頼母子(講)」などが存在しているところもありました。
……が、しかし、これも裏目に出る地域があってですね……。
『「金融リテラシー」最下位の山梨 理由は「無尽」の影響?【東日本編】』
AERA dot.さんの記事です。
「山梨県では無尽が今でも存在し助け合いの気質が強いため、それが個人の勉強不足に繋がり、金融リテラシーが低下した」というお話でした。
さらにこの「江戸時代の価値観が強く残っている」ことで、説明できることが他にもあります。
『日本人が「若さ」と「未成熟」を尊ぶ不思議 成熟に価値を見いだす西洋人には奇異に映る』
日刊ゲンダイさんの記事です。
日本人が「若さ」を尊ぶのは「体力があって農作業が捗るから、皆から羨ましがられる」という時代が長かったからでしょう。
それに引き換え西洋で「成熟こそが人間の価値である」とされるのは「教養のある人が尊ばれる」からではないでしょうか。
西洋は日本と違って識字率も低く、字が読めるのは貴族やお金持ちだけの時代が長かったですから、教養のある人とは「貴族やお金持ちのような、皆から羨ましがられる人」というイメージが強いんでしょうね。
貧しかった時代が長かった国で「太った女性が美しい」とされていることがありますが、あんな感じで「羨ましい=望ましい、尊ぶ」になっているのではと。
で、こういうことを調べていると、Youtubeさんが以下のような動画をおすすめしてくれました。
【江戸時代】日本が世界一の先進国で、江戸が世界一の商業都市だった理由【学校では教わらない歴史#14】【徳川家康・江戸幕府・鎖国・江戸城・都市開発・文化・教育】
別画面でリンクにさせて頂きました(Ctrlキーよろしく)。
画面の埋め込みの方法がわからない、というのもありますけど、実は皆さんに観て頂きたいのは動画だけではありません。
コメント欄です。
「日本は素晴らしい」あるいは「すごい国だ」という称賛一辺倒ですけれども。
確かに「日本が世界一の先進国であり、江戸は世界一の大都市だった」けど、それはですね。
けーこす先生のお言葉をお借りしますと「供給者の産出だけを意識すれば良かった時代」だったからこそ、日本も江戸も世界一になることができた、というわけです。
もちろん、今、これからの時代はそんな時代ではありません。
なのに、未だに江戸時代とあまり変わらない「供給側(労働者)ぐるぐる巻きの価値観」って、やばいと思いませんか?
※元マガジン「文系オヤジ降臨~まだ唱えてるぞ!オイラの『評価経済論』」