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第二章、指標の不足と「日用品と嗜好品」 ~【簡易版】文系オヤジ降臨~まだ唱えてるぞ!オイラの『評価経済論』~

0-M0T0KI
2 years ago

今回も前回に引き続いて、けーこす先生の元記事は以下です。

評価経済社会の理解とハックに欠かせないコペルニクス的転回とは?

前回は「コペルニクス的転回」にのみ着目し「主導権は概ね需要側(客側)に移ったこと(=自らのデフォルトの立場は客側にした方が良い)」ということについて、お話ししていました。

今回は全体的な話をします。

まとめると以下のような感じになるかと。

もうちょっと細かく読んでいきましょう。

上記の記事でけーこす先生は、まず食糧を例に挙げて「人間の胃袋の容積以上には、金融市場は発達し得ない」という表現をされています。

その後「国力・経済力の指標として、用いてきた線的(一次元的)なモノサシ=供給者の産出だけを意識すれば良かった時代の終焉」について書かれており、その理由を「やみくもに生産量を増やしても、供給過多は単に価格の低下を招くので、国富の総量は目減りしてしまうだけ」とも書かれています。

(この辺りの話の例としては、米将軍と言われた徳川吉宗が挙げられます。

吉宗は紀州藩主時代の改革で財政再建に取り組み、そこそこの成功をおさめました。

(吉宗の紀州藩主時代の改革について調べていると「水土里ネット紀の川連合 」さんのこのファイルを見つけました。ご興味ある方はどうぞ)

そういう改革を幕府でやったら「お米が増えても価格が下がったがために、思ったほどの効果は得られなかった」ということがありました。

それでお米の生産や幕府の保持する量を増やす(上米の制)などお米の方の政策ではなく、金銭の取引の方を何とか(大坂の米相場に介入するなど)しようとして、結果的には失敗し苦労し、ついたあだ名が「米将軍(米っちゃったね)」でした)

というわけで、けーこす先生は「国力・経済力の正体は、もはや線的な存在ではなく、需要と供給による面的(二次元的)な世界であると人々が気づくきっかけが生まれた」と書かれています。

さらにけーこす先生は、文中で挙げていた「コメ一俵」と「高級ティーカップ」を用いて「貨幣経済の発達により、本来、生命維持にとって不可欠であるコメよりも、無尽蔵に取得できる高級ティーカップの総需要の方(面積部分)が大きく、国富の創出という点では逆転現象がみられる」と書かれているわけですが。

これが「今日に至るまで用いられてきたGDP(GNP)という概念」であり、かつ「国力・経済力指標として、貨幣という”数字の積み上げ競争”」が始まったことをご指摘されています。

この時代までが、今回の『評価経済社会の理解とハックに欠かせないコペルニクス的転回とは?』の内容です。

ここから、この時代以降の話を少し付け加えさせていただきます。

「供給者の産出だけを意識」すれば良かった時代が過ぎ去ったことで、追加された指標が「GDP(GNP)という概念」ですけれども。

この概念は「(食糧を含む)日用品」と「日用品化した嗜好品」まで対応できる、まさに大活躍の指標でした(食糧品ではない食料品は日用品に含んでいます。食料は食べ物全般で食糧は主食を指すらしいです)。

しかし、そんな大活躍のGDP(GNP)にも対応が十分ではないものがあります。

それは「嗜好品の中の嗜好品」であり、元記事の画像をお借りして説明しますと右端の「弾力性無限大」のものがそれに該当します。

(2022/8/21 追記します。

すべての芸術品が「弾力性無限大」というわけではなく、版画のような量産できるものに限られ、絵画や彫刻などの一点ものは一点しか存在しないため「弾力性ゼロ」となります。

そのような例外を除くと「必需品は非弾力的、贅沢品は弾力的になる傾向」があるそうです。

参考:「弾力性とは | 経営を学ぶ~経営学・MBA・起業~」)

つまり「嗜好品の中の嗜好品」とは、以下のようなものです。

1.非常に嗜好性の強い(マニアックな)商品

2.高級品(ラグジュアリーな商品)

3.芸術品

嗜好品とは「生活に必要はないがあると嬉しい、より幸せになるもの」です。

さらに別の言い方をすると「価値あるものを、それなりの価格で、その価値のわかる(趣味を持つ)人だけに」向けられるものです。

この三つの「嗜好品の中の嗜好品」を言い換えると「非常に高い価値あるものを、それなりの非常に高い価格で、その非常に価値のわかる能力がある(かつ買うことのできる能力もある)人だけに」向けられるものとなるわけです。

しかしそれだけに、明らかに高過ぎる値段がついてしまうこともあるわけで、それが先ほどの「生命維持にとって不可欠なコメよりも、高級ティーカップの総需要の方が大きい逆転現象が見られる」の話です。

(何で高すぎる値段がつくのかと言えば、目利きがなくわからないものに「儲かりそうだ」という理由だけで買おうとする人が増えると、そうなるわけですけれども。

そして逆に、本当は価値のあるものなのに、その価値を評価できる人が誰もいないということもあります。

後述の生前のゴッホの絵がそれに当たります。

このようなことは人材でも見られることで、例えばコロナで医療関係者に対する報酬が安すぎることが話題になりましたが、その一方で社会的には大した仕事をしていないのに高い報酬を得ている人もいるわけです。

何でそうなるかというと、そのお仕事に対する社会(=我々)の「評価の方が間違っている」から、報酬も間違っている状態になるわけですね)

また「嗜好品の中の嗜好品(特に最もその度合いが強い芸術品が顕著)」に対して、十分に対応できているとは言い難い状態なのはGDP(GNP)だけの話ではありません。

それは「生産性」です。

公益財団法人日本生産性本部の「生産性とは」という記事によると、以下のように説明されています。

生産性の代表的な定義は「生産性とは、生産諸要素の有効利用の度合いである」(ヨーロッパ生産性本部)というものです。

上記リンク先の記事より図にまとめてみました。

そもそも生産性の算出をするには、その商品が売れていないと始まりません。

売れていなければ、それは生産されたものではなく、単なるゴミですから。

芸術品は客側にお金を払う能力だけでなく、目利きという能力も必要です。

つまり評価能力の高い客がいなければ、名画も世に出ることはできません。

わかりやすい一例が、先ほど挙げたゴッホの絵画でしょう。

生前に売れた絵は一枚だけで、しかも大した値段ではありませんでした。

しかし死後、何億何十億という破格の値段で取引されるようになります。

生前のゴッホの絵は一枚を除き、生産性を算出できる状態ではありません。

変ですねー、ゴッホの絵は存命中に描かれたもので、それが生産時点です。

ゴッホの死後に誰かが手を加えることもなく、絵は何も変わっていません。

変わったのはその絵の評価であり、お客さんの見る目の方というわけです。

(生産性にご興味のある方はこちらの記事もよろしくお願い致します)

というわけで、現在はさらに時代が進んでしまったがために「GDP(GNP)や生産性という指標では、十分な対応ができなくなってきたものがある」というお話でした。

(あと近年の話で言えば、暗号資産もその一つですね)

※元マガジン「文系オヤジ降臨~まだ唱えてるぞ!オイラの『評価経済論』


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