注目!「コレ全部乗せやります」&岡田斗司夫氏の功罪!
【ご挨拶】
今回のアイキャッチ画像のテーマは 「全部乗せ」 。さて、この画像の意味するものは?
本記事の後半をチェキしてね!
『HiÐΞ道』
このままHiÐΞの道を歩めばどうなるものか。
あやむぶなかれ。
あやむべば投げ銭はなし。
受け取れば、やがてその信頼がDOGGODとなり、
その信頼がDEVとなる。
迷わず行けよ、行けばメタバースさ。
ありがとーっ!
Viva la innovación! (イノベーション万歳!)
© Kujira941さん
1. 評価経済学の考案者・岡田斗司夫氏の功罪
(1)おさらい~評価経済学(原論)における定義
前々回の記事において、私は、評価経済について、差し当たり次のとおり定義しました。
(一部、推敲してます。)
「評価経済」 とは、
・先ず「個人における多層的(=3次元的、立体的)な役割に目を向けること。
・そして、その中でも社会に価値を提供している領域に着目すること。
・次に、その領域に定量的な評価を与え、誰もが納得できるよう可視化すること。
・さらには、その評価の実態に合わせてマネタイズの手法を試みること。
・これらのプロセスを通じ、真の貢献者に度合いに応じたエンパワメントを行うこと。
・以上のプロセスにより、社会全体の豊かさの最大化を図ること。
実は、この定義はまだ完成形ではありません。
でも、私が現在、執筆している 「評価経済学原論(という位置づけ)」 ではひとまずここまでとします。
(※ ちなみに将来は、続編として 「実践評価経済学」 なる分野も執筆予定。
きっとそこでは、前々前回取り上げた外部不経済の概念もクローズアップしつつ、この定義に加わることとなると思います。)
(2)評価経済の考案者
私が知る限り、この用語を最初に考案したのは、岡田斗司夫氏です。略歴は次のような方です。
私も現在、「評価経済論者」 を名乗っています。だから、最初にこの着想に至った氏は心から尊敬しています。
でも、結論を言うと私の見解と氏の見解はイコールではありません。
確かに、氏が列記した事象のいくつかは、恐らく評価経済的なものだったと思っています。
例えば、
・フォロワー数が多い人が、貨幣を介さずにサービスを受けることが出来た事例。
・逆にフォロワー数が多い人が、サービスとともに貨幣の提供まで受けた事例。
・一定の金銭的価値よりもSNSでの認知度を求める人が発生する状況。
このように貨幣の媒介なしでのサービスの提供や、サービスと貨幣の双方を一方的に受け取る近年の現象などが、SNSの発達などで顕著に見受けられるようになったことをいち早く発見した氏の功績は素晴らしいです。
(3)岡田氏の限界
でも、私は現象の列挙よりも、もっとアカデミックであるためには、メカニズムの解明を試みる必要があったと思っています。
つまり私には、氏が 「経済」 という単語を用いながら既存の経済学の学説・理論を起点とした論理展開をすることが極端に少なかったと感じられました。
確かに氏が何度かメカニズムらしき説明を試みているようなソースは目にしました。
でも、どうやら氏独自の歴史観の展開というか、ともすれば「これは文化人類学の講義かな?」と思ってしまう印象でした。
もちろん私は氏のコンテンツの全てに目を通した訳ではないので断言はできません。
それにエンターティナー的なお仕事もされている方です。
きっと、視聴者や読者の目線を意識しつつ、大衆ウケする手法が手っ取り早かったのかもしれません。
また、その後、残念ながら氏の活動に便乗したタレントやインフルエンサーが、”エセ評価経済ビジネス” みたいなことをし始めてしまいました。(少なくとも現在の経済学の文脈とは断絶されて展開されてしまったという意味です。)
この現象がもたらす本質的な意味を問わずして、やたらと 「時代に乗り遅れるな。」 と煽り、情報弱者への勧誘活動に奔走しているようでした。
私は、評価経済学の本質とは、経済はおろか政治、社会、文化にまでインパクトを与えうる重要な入口であると信じています。
でも、結果として、こうした顛末がその後の識者による研究や議論を大いに停滞させてしまったという事実が残念でなりません。
(4)岡田氏による「貨幣-評価二元論」
こうして、評価経済が次第に 「眉唾物扱い」 されてきた背景のもう一つには、氏自身の論理展開にも原因があったと思っています。それはいわば、岡田氏による 「貨幣-評価二元論」 とでもいう主張です。(この名称自体は私自身が便宜上、今、名付けました。)
彼は、評価経済の萌芽期である現代を次のように捉えているようでした。
つまり、世の中には、貨幣と評価の別個な2つのものがある、と。そして、現在、フォロワーや「いいね」数などが評価の指標となり、貨幣の代わりに使用される現象が表れてきた、という認識です。
さらにこう続けます。
やがて評価経済社会が発達すると、貨幣経済は相対的に小さくなり、個人の影響力が貨幣の代替をする場面の方がずっと多くなっていく、と。
でも、この世界観は、大学の経済学の講義で貨幣金融論やらマネーサプライやらをかじったことがある人から視ると、何か薄っぺらいというか、ある種の論理上の矛盾に直面します。
つまり 「氏がココにおいて、ひと言でまとめている貨幣とやらはそもそも何なんですか?」 と。
「貨幣、通貨とはすなわち、今日の高度に発展した金融経済において、氏がいうところのまさに評価、信用なるものを具象化したものの総称です。少なくともそれが建て前ではあるんですけど、何か?」 という感じです。
そもそもマネーサプライの面からいうと、貨幣というモノ自体が、時代や使用目的によって、
・М1~流通している現金通貨と預金通貨
・М2~M1+貯蓄預金
・М3~M2+その他の短期的な流動資産(国債、銀行引受手形、商業手形など)
へと分類され、進化、発展しているのです。(もっと正確にはココ)
氏が捉えるように評価、信用の世界とは隔絶された画一的なものではありません。(確かに今日、無尽蔵に刷られ続けた紙幣に今やその裏付けはあるのか?という本質的な議論は他に譲ります。)
氏の論理展開は、経済学側の人から聴くと、評価、信用を具象化したはずである ”貨幣”とは異次元な世界において別な評価、信用を鋳造しているという、まるで自らの世界を経済学の範疇ではないと公言しているかのような印象を与えてしまったのです。
(5)私の「貨幣における発展的評価経済論」
一方、私は評価経済社会という新しいパラダイムシフトには同調していますが、これまでの寄稿や上記の定義で表現したように、評価経済を 「経済システムの変容により、国富の計測範囲が拡張してきたことの帰結」 という文脈で捉えています。
私は、評価経済社会やこの社会で認識された価値・信用は、既存の貨幣社会とは断絶された代物ではないと思っています。それは、М1、M2、M3以外のもっと拡張性を秘めたもので、近年になって社会的価値が観測され始めたものだと捉えています。ひょっとしたら将来はM4などとして新たに国富評価上の一構要素に加わるかもしれないという認識です。
(6)トークンエコノミーのインパクト
このように論理展開した方が、余程、 「フォロワー→貨幣代替説」 的なトンデモ論のような響きはないですし、理論構築がすっきりします。
ただ、氏がこの本を上梓されたのは、2011年です。まだ、ブロックチェーン技術による暗号資産やステーブルコイン、NFTなどによるトークンエコノミーという言葉が今よりも一般化する前の話です。
以前、私はHiÐΞへの寄稿において*(自身がHiÐΞに誰よりもお世話になっていながら)* 「自分は評価経済論者だが、トークンエコノミストではない。」 と書いたことがあります。それは他方で、トークンエコノミーが、氏が陥ったSNSの「いいね」とM3との乖離を埋めるだけの価値の具象化手段として有効であることを認めたことの裏返しでもあります。なぜならあくまでも評価経済は理念・目的であり、トークンエコノミーは有効な手段だと考えるからです。
だから、時代背景として、氏がそこまで論理展開しにくかったのは、やむを得なかったのかもしれません。
私個人もValu、ALIS.toを経験し、さらに佐藤 航陽氏の 「お金2.0 新しい経済のルールと生き方」 が面白くて、何度も夢中になってアンダーラインしながら精読し、地震で思考実験を続けて辿り着いた境地です。
評価経済における思考方式は、これまで続いてきたGDP偏重による現代資本主義の枠組みを離れることで、新しい国富創造のあり方、深刻化する社会的病巣の根本原因、さらには新しいデモクラシーのあり方に至るまで、全てを可視化し、解決へと導く潜在力を有しているのではないかと考えています。
2. ド文系オヤジのよもやま話
どうして、HiÐΞをやってると、毎日、次々と新しいアイディアが沸き出てくるんだろう。
どんなにコケちゃうだろうとわかっていても試さずにいられない、オイラ。
病気だから?
多分、だよね。
確かにオイラは重度のHiÐΞ病患者だ。
今やHiÐΞを軸としたイノベーション探求こそが、オイラの闘魂であり、オイラの生き様のそのものになりつつある。
で、今回も考えたのだ。新プロジェクトはコレだ。
今回は、新メニューに見立ててこんなふうにご紹介しちゃうのだ。
(1) 新メニュー名:秋の全部乗せ丼祭り
(2) 食材たち
① HiÐΞ(まあ、これが主食、ゴハンですわな)
② マレーシア人向けのオイラの廃れたオイラの つべチャンネル
(ま、好き嫌いが沸かれるけど欠かせない紅ショウガみたいなもんやね。)
③ Opensea(ポスコロ部の部員さん達が導いてくれた今、まさに”旬”の食材だ!まるで数年前に存在を知った、ちょうど油淋鶏ってヤツみたいなもんやね。)
④ NFT作品
(最近、超我流だけど、立体NFTの作り方を覚えた。ま、③が油淋鶏だったら、これは鶏肉を油淋鶏たらしめる特製ソースってワケだ!)
・・・っていうことで、ここ1年のオイラの生き様と最近のエポックメイキングが見事に配合された!
(3) 調理方法
① 先ずは油淋鶏の特製ソース作りから
~先ずマレーシアにちなんだ立体コンテンツを作るっす。
② 炊飯器もスイッチオン
~上記のソースづくりと併せて、一連のプロセスはHiÐΞでも随時、中継するっす。
③ じゃ、鶏肉を揚げるで~。
~立体コンテンツが出来上がったら、OpenseaでNFT化してPolygon経由で出展してみるっす。
④ 最後に我流で紅ショウガをトッピング
~で、最後に一連のプロセスは、つべ動画も制作してうpするっす。
ちょうど億ラビさんが、英語でのHiÐΞ紹介記事うpしてくれてたんで、これも最高💛
(と、オイラ、吉野家の油淋鶏丼に紅ショウガを乗せながら、うまい説明方法を思いついたつもり。でも、コレだと異常に時間がかかる動画制作をトッピングの紅ショウガの軽量感とまるで釣り合わんしwww)
(4) 新メニュー創作のきっかけ
ここ数か月間、オイラはHiÐΞでホントに我を忘れる程に夢中にならせてもらいますた。
で、こんな日頃の生活じゃ出会えないような人たちから多くの知識を授けてもらった。
(ようわかんないけど、ひょっとしたら独走し過ぎて誰かに迷惑とかもかけてるかもしれん。)
でも、こんなにたくさん貰ったオイラだけど、これからも依存するばかりでいいのかな?
ちなみにオイラ、しつこいけど、『投げ銭は一切、個人の収入にしない宣言』してます。
自身の活動のための社団法人設立費用にしたいんです。
で、もし設立できる段階になれば、せめてその団体を持続可能なものにしていきたい。
それならHiÐΞにず~っと支えてもらう立場から、少しでも外部からHiÐΞにエネルギーをもってこられるくらいの立場にならなきゃダメだと思うんす。
だから身銭を切って実際にメタバースにフルダイブできちゃうANEさんとかのスペックの高さには心底尊敬するし、ポスコロ部にも在籍されてるKUJIさんとわっしょいさんのコラボなんかも、まだ世間的にはフロンティアであるNFTクリエイターとしてのプレゼンスを高めようと実践されとるし。
ま、確かに理想はカッコいいけど、道は険しいのよねん、第一、オイラ、ヘタレやし・・・。
でも、オイラが信じる評価経済学ってのは、基本は実学であるべしというのが持論。
自らもその実践者になる覚悟がないと、いつまで経っても 「エセ学問」 扱いされて、多くの人に振り向いてもらえないと思うんすよ。
だから、ガンバルんす!
以上!!