怒りについての考察2
カツオを怒る人、怒らない人
怒りについての考察 で、「怒ることは最適行動ではない」という話をしました。
「なぜ人は怒るのか」と言うところをもう少し深掘りしてみたいと思います。
イメージしやすいために、アニメ「サザエさん」に出てくる磯野家の長男「カツオ」を例に取り上げてみます。
カツオを怒るキャラといえば「波平」や「サザエ」が代表的です。
一方で、同じ年長者のキャラクターでも「マスオ」や「ノリスケ」がカツオを怒るシーンはかなり稀です。
この構図は、割と一般性があり、文字にすると次のようになります。
- ( よくある ) 親が子を怒る
- ( よくある ) 姉・兄が弟・妹を怒る
- ( よくある ) 弟・妹が兄・姉を怒る
- (ごく稀) 従兄弟を怒る
もう一歩、深掘りしましょう。
なぜ、親は子を怒るのでしょうか。なぜ、従兄弟を怒るのは稀なのでしょうか。
今一度、怒りが怒る時の図をみてみるとイメージしやすいかもしれません。
親は子に、「このような子供になって欲しい」という希望する形や行動があることが多いと思います。
一方で、「このような従兄弟になって欲しい」という希望というのは、滅多に聞くものではありませんね。
親が子供に「こんな大人になって欲しい」と希望・期待するのは、ある意味当然のことかもしれません。
そうした希望や期待が強すぎると、現実(子供の行う行動)とのギャップで「怒る」または「叱責する」と言うことが発生してしまいます。
叱責 とアドバイスは全く違うんよ
「叱責」と言う言葉があります。
「失敗したことを叱られる」と言う意味なのですが、人によっては、「叱責」を「アドバイスして"あげている"」とのニュアンスで使っている人もいるかもしれません。
たしかに、アドバイスがあることは相手の成長に有効かもしれません。
しかし「アドバイス」は、相手の耳や心に届かなければ、伝わりません。
- その「アドバイス」は相手(怒られる人)が理解できる言葉でしょうか?
- 相手はアドバイスを素直に聞ける状態にあるでしょうか?
それって、成長を邪魔しているかもしれませんよ: 「助長」
「助長」ということわざの由来をご存知でしょうか?
古代中国、あるところに農業を営む男がいました。
ある日、自分の田んぼをみると、隣の田んぼよりも苗の背丈が短く、育成具合が悪いことに気づきました。
隣の田んぼよりも稲の背丈が短いことをどうしても許せなかった男は、驚くべき行動をとります。
それが、「自分の田んぼの苗を上に引っ張る」です。
良かれと思って、上に伸びることを手助けしたんですね。
しかし、その思いとは裏腹に結果としては上に引っ張った苗は全て枯れてしまったそうです。
このことから「不必要な力添えをして、かえって害すること。」を「助長」というようになったようです。
これを「怒り」や「叱責」について置き換えてみましょう。
もしかして、「上から引っ張ってあげる」とか「アドバイスしてあげている」みたいになっていませんか?
その行動は、「助長」の「苗を上に引っ張る男」と重なるようでしたら、別の行動に置き換えた方が良いかもしれません。
「苗」にとっての最適行動は、「上に引っ張ること」では無いはずです。
- 苗の状態を把握し(健康か、病気にかかってないか)
- 適切な肥料をやる
- 適切な日あたりにする
- 適切な水分量にする
こういうボトムアップなやり方でサポートすることではないでしょうか。
「苗」に対してできることだったら、きっと「人」「部下」「家族」に対してもできると思います。
「部下」や「カツオ」に取っての、
- 健康状態
- 肥料
- 水分量
- 日当たり
はなんでしょうか。
- 心理的安全性
- 経験・知識
- 情熱
- 人間関係 (コミュニケーション取りやすい雰囲気になってるか)
- その人の中での常識
- etc...
その他いろいろあると思います。
上司や親は「助長」するのではなく、「苗が育つのをサポートする」というマインドに切り替わると、それはそれは素晴らしいことだと思います。
じゃあ、具体的にどんなことをするのか、等々はまたの機会に記事にしたいと思います。