第六章、評価経済論で「Who am I?」 ~【簡易版】文系オヤジ降臨~まだ唱えてるぞ!オイラの『評価経済論』
今回のけーこす先生の元記事は、以下です。
『部員優待第2弾!評価経済熱血投稿!で×ALISと盛りだくさん!』
【おさらい&Alis.toについて】
けーこす先生のまとめ記事がALISにも登場しました。
『超速!評価経済論のまとめ【2021/09/15現在】』
前回までのまとめ記事に、以下の項目が追加されています。
⑯ でも、現在、各国を国富を増やすためGDPを拡大してきたのに、なぜ、社会問題は深刻化するばかりなのでしょう。
一応前回の図も置いておきます。
【で、ここからは評価経済論のはじまり、はじまり~です!】
1.あなたは何をされてる方ですか?
この答えに職業を挙げる人が多いということを指摘されています。
(例:「私はサラリーマンです」「プログラマーです」/「私は今は主婦です」「いいえ、今は何も……私は無職です」)
そこでけーこす先生は、さらに以下のようなご指摘をされています。
なぜ皆さんは、私からの「何をされてる方ですか?」という問いに対し、
金銭的な報酬をもたらす役割、
あるいは最も時間を強制されている事柄でもって、
答えようとしたのですか?
また、なぜ金銭的な対価をもたらさない求職中の状態を「今は何もやってません」などと答えるのですか?
「何をしているのか?」と聞かれれば、
せめてアナタが最も熱量を注いでいるもの、
人に自慢できるもの、
アナタの帰属意識を寄せているもの、
そう、つまりアナタがアナタたらしめるもののレベルで答えていただきたかったのです。
という問いかけをされています。
2.法人の”Who am I?”問題
個人は自然人と呼ばれることがありますが、集団となって営利活動をする(=民間営利企業、代表的なのが株式会社)になりますと、法人と呼ばれることもあります。
その法人は何をやっているのかと言いますと「定款に定められている営利活動」をしています。
最近はCSR(企業の社会的責任)活動で「日曜日に社員総出でゴミ拾い」や「国際援助やってます」などという場合もありますけどね。
でも、基本的には本業である営利行為おいて「何らかのベストポジションを取れるように」という皮算用が働いているはずで、それが利益の最大化です。
国富=国の富みとは換言すれば、個人や個々の企業の富の集合体とも言えます。
そして各民間営利企業は基本的に、通貨という血液が流れる範囲のみ=活動範囲としています。
すなわち、各民間営利企業と国富のモデルとは共にGDPと近似の関係にあったと言えます。
3.個人の”Who am I?”問題
ここでもう一度、個人の問題へと回帰します。
個人かつ自然人であるあなたが、国(社会)に価値を生み出している活動は、本当に俗に「職業」と呼ばれるものだけだったのですか?
あらためて問われますとどうでしょう。
(例:「2人の子どもの父親です」「町内会で役員をしています」「離島に住んでいます」「家庭菜園を楽しんでいます」)
これらはすべて直接的または間接的に誰かの役に立っている活動ですが、経済的な対価を受け取っていない分野であっただけなのです。
ここまでの個人の話を図に表すと以下のようになります。
4.世界に蔓延る2次元的国富論がもたらしたもの
政府は、安定的な雇用制度を整備してくれました。
このことで「辞めさせられない=労働者が会社に忠誠心を尽くしやすい」というメリットが生まれた一方で、それ故に「辞めさせられない=こき使っても辞めない→社畜化」というデメリットも生まれました。
故に「長時間労働やサービス残業、カルトじみた社員教育などは、各民間営利企業のGDP(収益)を最大化することに短期的には寄与」しました。
しかし長期的には「お金が流れていない活動療育の時間や意欲を奪う」ことになりました。
この「お金が流れていない活動療育」について、政府や企業はGDP的な価値観を心酔していたため、お金が流れていない=価値がない=タダ(も同然)と見なしてきたのです。
ここからけーこす先生のお言葉をお借りします。
各国は可視化されているGDP競争を妄信するあまり、本当の意味での国富などは定量化できないために減少させていることに気づくのが遅かったのです。
このように社会的な財産をわが物のように勝手に蝕む奴らを経済学ではフリーライダー(タダ乗り野郎) と言います。
また、自分が儲けようとして活動した結果、その会社が儲ける代わりに、競争相手でもない他の会社や地域が、結果をして大迷惑を受け、社会全体にダメージを与えることを外部不経済と言います。
フリーライダーと外部不経済については、補足の記事で言及します。
しかし、我が国の「失われた30年」における労働者の精神疾患者数、自殺者数、過労死者数、進展する少子化、スタートアップ企業によるイノベーションの低さなどの統計データをはっきりと見てください。
野放しにされ続けたGDP拡大偏重による犠牲が何であったかを示すものそのものです。
このけーこす先生ご指摘の「(政府や企業による)GDP拡大偏重による犠牲」については、追加致したいところが一つあります。
というのは「悪いのは政府や企業や政府だけではない」ということで。
政府が悪くないというつもりは毛頭ありませんが、全部まるっと「政府が悪い、大企業が悪い」で「個人は何も悪いところはない」としてしまうと、個人は成長できません。
個人が「政府や大企業の価値観を鵜呑みにしていた」というところもありますから、そこは改善すべき点として、これから気を付けた方が良いのではないでしょうか。
5.本当の「経済」とは何か?
あまりにも感動致しましたので、そのまま引用致します(是非、元の文章をご覧頂きたく。全力でおすすめです)。
私はある日、経済学の識者と思しき者が、評価経済やトークンエコノミーについて、
「そもそも経済学というのは貨幣の流通する領域こそが研究対象なんだ。だから、貨幣を介さない評価経済やトークンエコノミーなんてものは矛盾に満ちている。経済学の対象とはなり得ないんだよ。」
と得意げにツイートをしているのを見て憤った記憶があります。
経済学の識者を名乗っておいて、何を言ってやがる!と。
経済という言葉は、そもそも ”経世済民”、すなわち、 「 世 ( よ ) を 經 ( をさ ) め、 民 ( たみ ) を 濟 ( すく ) ふ」 の意。です。
学問とは机上で論じられることに満足してはなりません。
現実を離れた理論なんかに意味はありません。その手法を実学で役立ててこそナンボなんです。
これまで「文系の学問は役に立たない、お金にならない」と言われてきましたが、その最たるものであったはずの哲学に、日本も散々痛い目に合わされたあのGAFAが注目しているのです。
(参考:「GAFAが相次ぎ導入する「哲学コンサルティング」とは」)
さらにこの「実学で役立ててこそナンボ」というのは、学問に限らず趣味や興味のあることなど、ありとあらゆる情報の全部が対象です。
テクノロジーの進歩によって、役立たせることができるものがこれからもどんどんどんどん増え続けているわけですから。
次回のけーこす先生の記事では、今回のことを踏まえて「評価経済論者として、如何に産業振興を図るべきか」という視点で分析されています。
『【HiÐΞ&JPYC専用接着ボンド爆誕!】&【評価経済モデル】』
今回はここまで。
お付き合い頂きましてありがとうございました。
※元マガジン「文系オヤジ降臨~まだ唱えてるぞ!オイラの『評価経済論』」