わたしが絵を描く理由

はじめまして。
くぐはらひろと申します。
普段はデザイン会社で本や雑誌などのデザインをしています。
2022年からNFTを始め、ありがたいことにたくさんの作品を購入していただきました。
そのため、なぜ私が絵を描き、どういうビジョンを持って活動しているのか、しっかりとお伝えしたいと思いこの記事を書くに至りました。
わたしは小さなころから絵を描くことが好きで、ずっとイラストやグラフィックデザインに関わる仕事がしたいと思ってきました。
そのため美術系の高校に進学したのですが、高校3年生のときに甲状腺の病気を発症し、2年ほど療養生活を送りました。
これは遺伝的なもので、うつ病に似た症状がでます。
一生つきあっていかなければならない持病のため、今でもあまり無理がききません。
なんとか高校は卒業できましたが、美大進学の夢は諦めざるをえませんでした。
これは自分にとって大きな挫折でした。美大へ行きデザイン会社へ就職するという以外に、そのころの自分の中には選択肢がなかったからです。
なかなか体調も落ち着かないなかではその後の目標も決められず、結局はフリーターとして5年ほど過ごしました。
そして、ある時ふと思い立ってデザイン会社のアルバイトへ応募し、採用していただきました。いきなりフルタイムでの勤務かつ残業の多い職場だったので、体調が追いつかず1年ほどで退職してしまいましたが、その経験からいまの職場に拾っていただき、理解のある社長のもとで今はなんだかんだ楽しく働いています。
体調が回復するとともに、また絵を描くようになりました。
2019年から本格的に「くぐはらひろ」名義でイラストレーターとしての活動を始め、細々とではありますが、有償の依頼もいただいてきました。
それまでの私は、自分の好きなもの、描きたいものをただ描いていたように思います。
その考えが変わったのは、2019年の夏に初めて展示会に自分の作品を出品したときのことです。
展示会というのは、公の場に自分の作品を飾っていただくということです。不特定多数の方に見ていただくという意味ではネットでも同じなのですが、そのときになってようやく、私は自分がなぜ絵を描いているのかを考えるようになりました。
絵は究極の自己表現ですが、同時に視覚言語ででもあります。
そのときから、私は何かしらの問題意識や自己主張を込めたイラストを制作するようになりました。
これはその展示会に出品した2枚ですが、この作品には当時の私が感じていたジェンダーについての問題意識が提示されています。
2019年というのは、さまざまな場所で「分断」という表現が使われていたように思います。
言葉というものは人の心を強く揺さぶる反面、予期せぬ誤解を生み、誰かを傷つけるほどの強い力を持っています。 もしかすると言葉は、意図せず憎しみや偏見を助長するかもしれません。
だから私はこれまで、自分の作品を明確な言葉で説明してきませんでした。そしてそれは恐らく今後も変わらないでしょう。
理由はふたつあります。
ひとつは、説明することで受け取り手の解釈の自由を狭めてしまうからです。アートとは本来、正解のないものです。ですからわたしのイラストを見て感じたものは、すべて正しいのだと思っています。
もうひとつは、言葉は常に流動的で、センセーショナルだからです。
冒頭に自分の経歴を書いたのは、一時的に社会からドロップアウトした人間にとって、一般的な言葉がときに人を傷つける凶器になることを知ったからです。
多数派のごく善良な人々の「普通」という言葉が、少数派の人間を追い詰めることがあるのです。
ですから私は、自分のモヤモヤをイラストに込めることにしました。
これは私の傲慢であり、臆病さでもあると思います。
それでも、もし私のイラストを見て、少しでも何かを感じ取っていただけたのなら、それ以上に幸せなことはないと思っています。
NFTを始めてから、わたしは改めてもっと絵がうまくなりたいと思いました。
金額の多寡にかかわらず、自分が好きで描いたイラストに価値を与えていただくという経験は、本当に自信につながりました。
イラストレーターのお仕事というのは、ほとんどがクライアントワークです。そのためデザインの領域にとても近い部分があると思います。
しかし、自分が描きたくて描いたイラストというのは、純粋芸術に近い性質のものです。
小さなころからイラストを描いていたわたしにとって、そういった作品を評価していただけるというのは、自分の人生や過去をまるごと肯定していただいたような感覚でした。
そして、わたしがNFTに魅力を感じるのもこの点です。
デジタルアートはなかなか「芸術」と呼ばれにくいものでした。それはイラストの商業的な性質もあると思いますが、デジタルデータの唯一性のなさにも起因するのではないかと思います。
ですが、もしNFTでイラストが売れなくても、わたしは絵を描くことをやめたりはしません。
なぜなら絵を描くという行為は、わたしなりの世界との関わり方であり、自己表現だからです。
一度社会からドロップアウトしたわたしにとって、絵を描くことは闘争なのです。人生をかけた戦いなのです。これは少し大それた表現かもしれませんが、わたしはそんなことを考えながら絵を描いています。
わたしはアートが共通言語だと信じています。
まだ自分のイラストを「アート」と呼ぶのには慣れませんが、それでも、強い力をもった「言葉」ではできない表現が、アートでなら可能なのではないかと思うのです。
それはゆるやかに世界をつなげていくものです。
事実、わたしはすでに海外の方に作品を購入していただきました。
遠い国の誰かとつながったのです。これは言葉が通じずとも伝わるものがあるのだということを確信できた経験でした。
わたしのNFTはプロジェクトではありません。
そのため明確なロードマップを提示することはできません。
ですので以上のようなことを、わたしのロードマップと考えてください。
つまり死ぬまで絵を描き続けるということです。
OpenSeaやEthereumがなくなろうとも、わたしは絵を描くことをやめません。
わたしは自分のNFTを購入してくださった方々に対して、誠実でありたいと思っています。それだけ私はオーナーの皆様に救われたのです。
絵を描き続け、うまくなることが、わたしが皆さまにできる唯一の恩返しだとおもっています。
わたしを見つけてくださって本当にありがとう。そして、あなたが幸せであることを心から願っています。

ここまで拙い文章をお読みいただきありがとうございました。
今後ともくぐはらひろと、うちのねこをよろしくお願いいたします。
