生産活動を考える。広義から狭義へ
生産活動とは、通常「物やサービスを生み出す経済活動」のことを指します。
厳密に言えば、これは「狭義の生産活動」のことであり、経済学が問題にするのはこの「狭い意味で生産をする活動」の方です。
では、通常ではなく経済学が問題にしない生産活動とは何なのかと言いますと、それが「広義の生産活動」なんですね。
「広義の生産活動」には自給自足や主婦の家事労働などのように、お金または交換・取引の対象となる財・サービスなどが発生しないものも含まれます。
というわけで、平たく言えば以下のようになります。
(そもそも計算できなきゃ経済学が捗らんよねー……て感じ?)
と、そこで、ですね。
その「お金または交換・取引の対象となる財・サービスなどが発生しない、広義の生産活動」の中に、芸術品の創作活動が含まれているわけですが。
芸術品とは工業製品のように、完成するとすぐ自動的に価値が出て値段が付くものではなく、その後の鑑定によってその作品がお宝なのか、残念ながら価値がないものとされるのかがわかれるものです。
(工業製品の場合、評価が比較的簡単ですから値段も付きやすくなります。
例えば自動車なら「移動する」という明確な目的があり、それに関する機能に着目することで誰でもある程度の評価をすることができますので)
ここでゴッホの絵画を例に挙げてみましょう。
ゴッホの絵画で生前に売れたものは一枚だけで、その価格もせいぜいが今の日本円で5~10万円程度だったそうです。
今ではどの作品も、何億円というものすごい高い価格になっておりますけども。
というわけで、ゴッホの絵画のうち売れた一枚を除くと、ゴッホが絵を描いた時点では「広義の生産活動」によって生産された、ということになります。
それが、彼の死後にものすごい値段が付いた時点で、広義から「狭義の生産活動」に変わることになりました。
この時の絵画には、何か手を加えられたわけではありません。
何が変わったのかと言いますと、この絵画に対する「評価(鑑定結果)」が変わったということになるわけです。
もっと早く、ゴッホが亡くなるまでに、この正しい評価をされていたならば。
とは言え、以前どこかで拝読した記事には、以下のような記載がありました。
「そもそも芸術作品の鑑定は非常に難しいもので、時間がかかるのは当たり前。
ゴッホが亡くなるまでに間に合わなかったのは非常に残念だが、その当時の人々の目が節穴だったというわけではない」
というわけで、私は「日本にもこのような評価を正しくできる人材が増えたらその分、国の富が増えてGDPも伸びるのではないだろうか」と考えております。
ただまぁ私自身はと言えば、そこら辺の鑑定眼は一切ありませんけれども(だから余計に厳しいっちゅーねん)。
まとめますと、ここで言いたかったことは「狭義の生産活動で交換・取引の対象となる財・サービスを生み出すために、広義の生産活動や評価する能力等も重視しなければならない」ということでした。
余談ですが、以前ChatGPTに「生産活動」を問うてみたことがありました。
その時の私が期待していた答えは、上記に書いたような「生産活動には広義と狭義があって、普通は狭義のお金になる方を指す」というものだったのですけれども。
そういうものは全然含まれていなかったので、率直に言って「ChatGPT様もまだまだやなぁー」と思いました。
ですが、もしかしたら有料の方ではこういう答えも含めて、もっと充実した答えを返してくれた可能性もありますよね。
やっぱ無料版だもんねー。