みんながお金を好きと言えない理由
はじめまして、けいと言います。
いつもはFPやったりお金の計算したり初心者プログラミング勉強会を作ったりして遊んでいます。
とつぜんですが、私はお金が大好きです。
どれくらい好きかというと、おばあちゃんの畑で青虫見つけるバイト(1匹1円)したり、「お前の持ってる100円玉1枚と10円玉4枚と交換してやろうか?」と兄に言われて喜んで交換したり、兄とケンカしたら兄のお小遣い帳に「妹にあげた △100000000000000円」と書いたりするくらい。
ちなみに将来の夢は駄菓子屋さん。なぜなら小銭が増えるから。(このせいで兄の両替事件が発生した)
そんなアホの子ですが(主に兄から)だまされるたびに強くなり、お金の勉強をするようになりました。
でも「お金好きです」っていうと、みんな引きます。
なので私がなぜお金大好きになったのかと、なんでみんなお金好きって言えないのか考察しました。
おかねがすきと言えない理由
(引用:藤子不二雄「気楽に殺ろうよ」より)
お金好きっていうとすごい顔されますが、多分せっ○す好きというのと同じにおいがします。
私もそれは言えない。はずかしい。
でもそれくらい生々しい話なんだなーと最近わかりました。
昔、藤子不二雄の漫画で、「気楽に殺ろうよ」という短編がありました。
その世界では食欲は個体を維持するための独善的な行為であり、性欲は子孫繁栄のために必要な社会的な行為と位置づけられてます。
なので食べるなんて大きな声で言ったら恥ずかしいし、食べる時はカーテン閉めてこっそり食べる。でも性欲は絵本にも書かれるくらいオープン。
極め付けは、1人産めば1人あやめてもいいという世界。
話がそれましたが、多分同じくらいの感覚で「お金の話=恥ずかしいもの」というイメージなのでしょうか。
うちは家庭でいつもお金の話をしていたのでなんとも思わないんですが、多分性教育をオープンにしているご家庭と同じ位置づけな気がします。
要するに異端。
私がお金すきになった理由
我が家はふつうの貧乏(?)で、両親は「お金は大事だよー教」の教徒でした。(※教祖はアヒルではない)
両親は真面目で一生懸命お金を貯めていたし、常々「お金は大事だよ。ちゃんと貯めておこうね」と言われて育ったため、私も「お金自体が大事」と思い込んでしまった節があります。
なのでお金を貯めて何か買うというよりも、お金そのものを貯めて安心したい、という欲望の方が強いのでしょう。
お金を使ったら、お金が減る=安心感が減る、という論理です。好きなものにお金を使うのはわがままであり贅沢と暗に禁止されていました。
なのでお金使うのにかなりの苦痛を伴いますし、いろんなものをお金換算で考えていたので辛かった。
ちなみになぜか兄は「お金は大事だよー教」に入っておらず、お腹いっぱいなら幸せだという「まんぷく教」の教祖になっています。(教徒は私のみ)
お金中心の価値観から解放された
大人になってから七つの習慣を学び、「価値観がお金中心の人は間違っている」と指摘を受けて初めて気がつきました。
大事なものはお金では買えず(そこそこ買えるけど)、人生はお金を貯めるゲームじゃないと知り、晴れて解脱できました。
なので、とりあえずお金中心ではなくなったものの、お金は相変わらず好きです。
どれくらいかというと、ヴェネツィア(簿記発祥の地)を心の故郷と思っているし、お金の流れでわかる世界の歴史とかのお金と歴史の本がとっても大好きです。
(ローマ帝国が滅亡したのは脱税が原因なんですよ。楽しいから読んで!)
という具合に、かなり純粋にお金の話が好きというレベルになっています。
お金の話が恥ずかしい理由
でもお金ってなんで恥ずかしいんでしょう?
商人は一番地位が低いし、金融業はお金を扱う卑しい仕事とされています。
でもお金のパワーはみんな知ってるはず。知ってるからこそ、憧れないようにお金は卑しいものだと国は教育してきたのでは。
だってあんまり勉強すると、みんなリボ払いとか保険とか宝くじとか買ってくれなくなるから。
でも、
お金は大事なものだと理解してきちんと勉強しないと、悪い奴らにだまされちゃう。
なので、「新・お金は大事だよー教」を立ち上げて、日々お金の話をしています。
よろしくおねがいします。