ALISのこれからを考える - 新時代への布石
以前、「ALIS最前線考察 - 栄光の未来は訪れるのか」という記事を執筆させていただき、その場で現状のALISへの課題点や将来の展望などを勝手に語らせていただきました。
今回は、その続きではないですが「ALISのこれから」を割と深く考えていきたいと思います。現時点でいろいろと有料記事を投稿してきましたが、あまり有料化するだけでは意味がないというのも事実のため、本記事は無料になります。というか、今後有料記事が出てくることはあまりないといっていいかもしれません。
状況が変わったWeb3
以前から「Web3」という言葉が多くの場所で飛び交っていたものの、最近はそこまで見ないように思えます。結局はバズワードだったのかというのをひしひしと痛感します。
なぜそのように言えるのか、それは単純です。すでに状況が変わりWeb3を取り巻く環境が大幅に刷新されたことに起因します。最近の同業界は非常に厳しいものとなっており、冬の時代と形容されるような冷え込み具合を体験している最中です。個人的にもその波は感じるものがあり、一方で巻き起こっている「静かな退職ブーム」にどう対処すればいいのか戸惑っています。
しかし、現状のWeb3を見て思うことは、これからは自分勝手なマインドが強くなるのではないかということです。これは、いわゆる猫的マインドともとらえることができます。国や政府などというフレームワークの上で物事が進む時代から、そうではない個人の意思によって物事が変化する時代に切り替わっていくのではないかと考えています。
昔は東大に入ればよかったなどと言われていましたが、今の時代はどうでしょうか。別に東大を卒業してようがいまいが、さほど気にしない人は多いのではないでしょうか。
日本では、将来的に医療・福祉産業が国内で最もボリュームのある産業になることが予測されており、いかに死なないでいるかが重要になる不思議な時代を迎えるといわれています。そんな意味不明な21世紀において、2008年に誕生したビットコインをはじめとするWeb3ブームはどこへ向かうのでしょうか。
Webの終焉がWeb3を意味づける?
個人的な見解として、Webの終焉が訪れるのは必至と考えています。だれでもインターネットにつながる時代になった今、インターネットをどう利用していくかが焦点になっており、それを過去のように楽しみたいというニーズは消え去りつつあります。将来来なWebというのは現在想像できるようなWebの姿ではないことは確かです。その場合、Web3はWebとは言えない仕組みの中で生かされるのではないかと思います。
具体的には何があげられるのでしょうか。それはデジタルツインという考え方です。
デジタルとアナログのものがインタラクティブにかかわりあうことで生まれてくる余剰価値、それがデジタルツインならば、その時代が訪れる可能性は非常に高く思えます。そして、やはり現状のWeb3は画面を見るだけで面白くはなく、どちらかといえば「発展途上国向け」のテクノロジーであることがわかっています。
日本や米国などの先進国に住んでいる場合、どのようにこれらのテクノロジーを活用していけばいいのでしょうか。その答えは、インターネットとは程遠い場所にあると思うのです。
問題提起のフレームワークとテクノロジー
そもそも、テクノロジーを利用したいという場合、大体その前に問題があります。それは一体全体どういう問題であろうが、問題に変わりはありません。
例えば、人里離れた集落に住んでおり、いちいち都会まで行くのに時間がかかってしまうといった場合、フードデリバリーは非常に有力なテクノロジーになります。しかし、いつも買い物に3分でいけるひとが同じサービスを享受しても何も意味がありません。
銀行口座を持っていない人々がウォレットアドレス一つで、すべての銀行的機能を利用できることは、そもそも銀行の仕組みが整った環境で利用するよりも意味はあるでしょう。そんな具合で、テクノロジーは適材適所に強く、そうでない場所では格差を生みます。そもそも存在する格差やしいたげられた状態に作用させることが重要といえます。
ALISが目指しているのは、状況が変わったこの世界でどのようなニーズをくみ取ることなのでしょうか。バカ高いガス代を要するイーサリアムチェーンで、何も変化を躍起することもなく漂うだけのサービスになっていないか心配ですが、ことはそのようになっていっている気がしてなりません。